評論家につきまとう苦々しい真実

『レミーの美味しいレストラン』というディズニー映画の中に、辛口評論家の「アントン・イーゴ」という人物がいます。

僕は、その映画の終盤で放たれた彼の言葉が大好きです。

評論家とは気楽な稼業だ。

危険を犯すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に、審判を下すだけでよい。辛口な評論は、書くのも読むのも楽しいし、商売になる。

だが、評論家には、苦々しい真実がつきまとう。たとえ評論家にはこけ降ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が、評論より意味がある。

『レミーの美味しいレストラン』(原題:Ratatouille)

評論家には、ある意味で素晴らしいものを世の中に広めたり、人々を啓発して正しい道に導いたりする機能があることは認めます。

ただ、評論家自身の影響力が大きくなるにつれ、あたかも評論自体に絶対的な価値があると考えるのは間違いだと思っています。

これは、自戒でもあります。

ブログを書いていく中で、これは他人を外野から不当に評価しているのではないか、「評論家であるよりも実践家でありたい」という自分の信条に反するのではないか、と常にブレーキをかけています。

どんな評価よりも、目の前にある作品の方が価値があると思っています。

それはクラフトビールも同じで、レイティングサイトでの悪いレビューや、SNSの自称インフルエンサーによる書き込みよりも、目の前にある液体の方が価値がある、そう本気で思っています。

自分が人生の幕を引くとき、これまでの積み上げた人生を振り返って、言葉による評論や評価よりも、実践から生み出した価値の方が多いことを願ってやみません。

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